清水康弘による劇団あとの祭りの装置に関する覚え書き

 

第16回公演〜新撰組の布団
(1999.8.20-22)

2005年 5月24日

前作から十ヶ月ぶりの公演は、AP初の時代劇。
メンバーみんながいつかやりたいと思っていながら、なかなかハードルが高く手を出せずにいた時代劇ですが、メンバーの力量も充実してきた時期であり、中島の脚本で新撰組のエピソードに取り組みました。
公演パンフレットで作者はこんなことを書いていました。

新撰組については学校でも教わらないし無知な僕たち。それぞれ勉強しました。
実際に京都壬生へ旅行したりお墓参りに行ったメンバーもあり。
当時の劇団ホームページに小森の手記が掲載されていましたのでここに再現しておきましょう。

新メンバーの尾崎を主役に抜擢。
しばらく休んでいた澤田が復活。
そして夏休み中ということもあり教師をやっているメンバーが出演。福富、小森、玉置らです。
音響の玉置が役付きとなるため、音響オペとして竹島プラス川村がお手伝いに入りました。
本番のときロビーにはこんな人たち

真夏の公演ということで、制作の大原はいろいろとおまけを考えてました。
おまけ@
夏だし、時代劇だし、ご来場先着五〇〇名さまにこんな記念品進呈。
おまけA
夏だし、時代劇だし、浴衣、甚平など和服でご来場の方に粗品プレゼント。
これは駄菓子詰め合わせでした。
けっこう和服で来た方いらっしゃいましたね。

役者のほうも時代劇ということで、みんな自分で着物を着れるよう、また新撰組隊士役は刀を振り回さなければならないのでその所作を学ぶ必要があり、元劇団員で合気道の先生になっている川地を招き「居合い術教室」を開催。いろいろご指導して頂きました。
刀はどんなものを使おうかとみんなで相談したのですが、タケミツでは重量感や質感の点でイマイチだよねということで、全員ジュラルミン製の模造刀を購入しました。
人に当てれば切れはせずとも大怪我するようなものなので、狭い部屋で全員が振り回す場面はそれは緊張感がありました。

尾崎は岐大劇研時代に装置をやってきた人で、きちんと仕事のできる人だと感じていたので、彼を装置チーフにして僕がバックアップするという体制をとりました。
彼は以前和室のセットを作ったことがあるので、そのノウハウを生かしてもらえる
だろうし、いつまでも僕一人が装置というのも良くないですから、この公演から数回は彼にチーフを任せたわけです。
と言いながらも、僕も言いたいことを言って自分のプランの方へ誘導するような部分もあったので、彼としてはやりにくかったのではないでしょうか。「だったら最初から自分でやれよ!」と言いたかっただろうと思います。

舞台は新撰組屯所の一部屋。床一面に布団が敷かれ就寝中の場面で始まり、装置としてはずっとそのままですが、ラストで主人公 安藤早太郎が叫んだ瞬間のきっかけで祇園祭りの京の町に移動しそのまま狂気に落ちていくという構成になっています。
方針として、部屋は細部まできちっとつくり込み、ラストはいっぺんに何かで部屋全体を隠せるようなアイデアを出すことにしました。

和室として襖や障子といった建具、あと欄間がどうしても欲しかったですし、6組の敷き布団,掛け布団が必要でした。劇団員みんなにお願いして探してもらっていたのですが、見つからなければ自作するしかないかと思っておりました。
そんな中 沓名があるルート経由で、不要になった建具が頂けそうだと紹介を受けました。

情報1 : 高山で取り壊される旅館があるらしい
情報2 : 関市のとある旧家が改築し障子などをもらえそうだ
で、
7月3日(土): 高山出張
7月4日(日): 関市出張 と決定。 メンバーは沓名、尾崎、清水の3名。1トンのバンをレンタルして行って参りました。

高山の福田さんご夫妻はいい人でした。旅館は残念ながら多くの家財道具が運び出されてしまった後でしたが、幸運にも残されていたふすまや欄間を頂くことができました。
そのまま帰ってしまうのはもったいないので、高山の古い街並みを見物。
しばし休日を堪能しました。

関市の板津さん宅は立派な古い家で武家屋敷みたいでした。
門に「お籠」が吊ってあったのにはびっくり。 こちらでは障子と布団を
頂くことができました。

こうしてなんとか材料は揃いました。
さて、お部屋の条件としては、窓があること。窓を開けて外の様子を見たり、終盤では早太郎が窓の外のお竹さんと話したりします。下手に窓用の障子を設置しました。
次に押入れがあること。押入れはものを出し入れするのはもちろん、くのいちの隠れ通路だったり、イメージシーンで土方がいきなり登場するのに使ったりします。
上手の壁奥側に設置しました。
奥は障子4枚。その向こうは廊下で、廊下の一方は奥の土方の部屋へ、反対方向は道場や風呂や玄関に続いている設定です。
障子をスクリーンにして、後ろにいる人のシルエットを出すという効果も使いました。

壁は普通に壁紙を貼りました。僕は汚しをかけるのがあまり好きではないので、貼りっぱなしのきれいなままの部屋になりました。
ホールで部屋のセットを組み上げた後、セットの角で壁側を向いて布団に寝転がったりすると、本当にどこかの部屋にいるような錯覚がして癒されたりしていました。
奥の障子を開けた時に見える廊下の向こう側はどうしようと思っていたのですが、尾崎のアイデアで簾をかけるだけで処理しました。楽でした。

欄間は高山ですばらしい細工のものをもらってきたので、奥に設置。しかし固定作業中に思い切り落としてしまい、細かい細工の図柄がバラバラに割れ、尾崎とふたり青くなりました。
ジグソーパズルです。部品を並べて順に木工用ボンドで固定して、なんとか再生させることができたので良かったものの、かなりの無駄な時間を費やしました。

装置の重要テーマが二つありました。
問題の一つ目は、お竹が越後に斬られ、死んだお竹に早太郎が布団をかけた後、しばらくするとお竹がいなくなっているというイリュージョン。
解決策は「床の穴開け」でした。もちろんホールの床に穴を開けるわけにはいかないのですが、舞台床の一番奥は4480×910mmの平台が外せるようになっているので、それをどけて、自作の穴あけ台をセットしました。
ロックを外すと穴が開いて、ぎりぎり一人通れるようになる構造で製作し、亜子ちゃんにはきっちりその穴の上で死んでもらい、尾崎にうまく布団をかけてもらったら、前の方でドタバタやっている隙に、こっそりと脱出するという手法でうまくいきました。
 → 亜子ちゃん脱出のシーンを動画でご確認ください
「亜子隠し」とか「亜子落とし」と呼んでいましたが、なかなか本人も床下スタッフも大変だったようです。あと新しめのパンチカーペットに穴を開けなければならなかったのも、平気を装いつつ精神的にはダメージ大でしたね。

もうひとつの問題は前述のラストシーンで、素材としては前回公演の時に鬼頭クンからもらって余っていた和紙を使うことにしました。
なにしろ壁全部を覆う面積なので、お金の問題もあり、できるだけ安く仕上げたかったわけです。
墨汁の濃淡で不規則なにじみ模様をスタンプみたいな感じで手刷りして、つなげて、奥はバトンに仕込み天井から振り落とし、サイドは壁の上部裏側に仕込んでおいて振り落とし、となりました。
 → 早太郎のラストシーンを動画でご確認ください
この転換をホールで初めて見た作者中島に「なんにみえる?」と聞いたら「混沌」と言ったのでそういうことにしておきました。あと、お客さんのアンケートで「血しぶきみたい」と書かれたものがあり、これもいただきました。

記録によると4月中旬から稽古を始めていますが、台本完成は本番2週間前だったようです。さらに本番2日前にラストシーンに改訂が入りました。
最初、下手の窓は障子のみで、開けると何もなかったんですが、ホールでラストシーンの練習を見ていて、これはやっぱりどうしても窓に格子がはめ込まれていないとダメだと感じて、その日の夜岐阜大学に戻って急遽作りました。まだ高山からもらった物の中に格子が残っていたので、ちょっと形を整えて利用し、翌朝一番にホールへ持ち込んでセッティング。
改めて練習を見てやっぱりこうでなくちゃ、と。
早太郎とお竹が窓の内と外で手をつないで話す場面で、格子も何もないと、もっといくらでも近づけそうで、視覚的に緊張感が出ていなかったのでした。
格子をつけた副産物として、月明かりのような黄色の照明がしましま模様になっていい感じになりました。

本番前にホールで大問題発生
ちょうど大雨が降っていたのですが、奥の搬入口やホールの壁から雨が漏ってきたのです。慌てて布団を非難させ、ゴミ袋で目張り。なんちゅうホールだと思いましたねえ。幸い雨はそれ以上激しくならず、水も止まったようでした。

平隊士役のメンバーは着物でけっこう暴れまわる為、すぐに着崩れたり、裾が開いたりするので、一応下着にも気をつかいました。時代劇ですから当然ふんどしですね。でも、マジふんどしのみは僕だけで、他の連中はスパッツに重ねばきしたりしてました。男なら純粋にふんどしでいこうぜ、と主張していたのですが。

尾崎は叫びまくり動きまくりの大変な役で、通し稽古の後はいつもへろへろになってました。仕込みと練習の疲れも抜けず本番ではさらに力が入りますし、恐ろしいことに土曜日は3回公演だったので、終演後には死にそうになっていました。
ラーメン屋一代繁盛記で沓名が意識を失った経緯もあったので、日曜日は袖に酸素ボンベが準備されました。本番中ときどき袖で「シュー」って、やかましいっちゅうの。
これ以降、激しい芝居で1日3回公演はご法度となりました。
ご法度と言えば、ちょうど映画でも御法度という新撰組関連の作品が上映されていたのですが、「御法度より全然良かった」という感想も頂き、励みになりました。

終わってみれば、すべての役者それぞれとても思い入れの強い、いい芝居に仕上がりました。またやりたいと思う芝居のひとつです。
劇団でちゃんとした倉庫を持っていないため、公演終了後はせっかく頂いた建具類はすべて廃棄してしまいました。苦労してパズルした欄間ももったいなかったです。

 

メニューに戻る

 

劇団あとの祭りメインメニューに戻る