清水康弘による劇団あとの祭りの装置に関する覚え書き

 

第六回公演〜ラーメン屋一代繁盛記〜
(1994.9.3-4)

2004年 1月18日

第5回公演が3月、約半年後の第6回公演はラーメン大好き中島の台本でした。
6月頃には活動を再開していたくらいでしょうか。真夏の暑い時に岐阜大学のピロティで練習していた記憶があります。
その間の4月に就職した劇団員が多く、澤田は三越の仕事が忙しく一回休みで、小細工というスタッフ名で記録に残っていますね。
伊東亜樹は故郷の石川県でOLになり、衣装・小道具要員になりました。白豚と黒豚の頭のぬいぐるみを作ってくれたりしました。
逆に彼女と同期の山田が入団しています。ちなみに衣装の元締はもちろん小川ですね。
音響では玉置がお休みのためオペに花本善美というメデタイ名前の後輩が入っています。彼女はとてもとても大きいです。最近会ってませんが、今も大きいだろうと思います。
一方、照明は引き続き黄金コンビですね。
あと、本番では受付でこの人たちも手伝ってくれたようです。

さて、台本はラーメン大好きな中島がラーメンにまつわるお話を書きました。
構想を聞いた段階で、なんて面白そうなんだろうと思いました。
役名だけ見ても、
「ラーメン作りに命をかけている男」
「ラーメン作りに命をかけている男を愛する女」
「ラーメン作りに命をかけている男に金を貸した女」
「ラーメンを愛する男」
「ラーメン世界一あるよ。の男」
「ラーメンのすべてを知るもの」
「ラーメンにツユと消えた女」
などなど、おもしろそうでしょう。すべり出しはよかったのですが、本の完成はとっても遅かったのでした。
ただ、本が上がらなくても装置としてはあまり問題なかったと思います。
構想自体はラストまで聞いていましたし、装置プランは早い段階で決めてしまいました。

条件設定に移りましょう。
舞台は、まず学生たちがうだうだ集まっている安普請の一部屋。
これは物語の導入部です。彼らの中の一人が「屋台のラーメンがなぜうまいか」という話を始めて、本編に入っていきます。
そこでいきなり登場して走る主人公「蔦川信一」(走る男=食い逃げ男)。
彼が走っている姿を同時に見せながら、彼らの台詞が重なり合い盛り上がったところで転換、ラーメン屋台を引き猛スピードで「走る男」を追う「門屋町一平」(ラーメン作りに命をかけている男)の登場です。
屋台のオヤジが食い逃げを追う壮絶なシーンになります。
もう先程の部屋のシーンは二度と出てきません。
次はどこかのガード下でラーメン屋台をやる場面。食い逃げ男は一晩働いて侘びを入れることになります。
その後は、とても簡単に説明できる話ではないので、項目だけあげさせてください。

もう一人ラーメン名人が現れてラーメン対決のシーン。(主人公は、「ここ どこなんだよー!」と言っている)
尚、ラーメン屋台はジュラルミン製で、F15戦闘機並みのロケットバーナー、レーダー、ロケットランチャー、催涙弾などが搭載されているらしい。
「辻斬り男」の刀によって切断、破壊されるラーメン屋台。
金融屋の女社長と社員が走っているシーン。
信一が屋台を引き疾走するシーン。(一平は満身創痍、ラーメン屋台には幽霊が乗っかっている。)
「辻斬り男」の屋敷の中で彼のモノローグ。
「辻斬り男」の屋敷の玄関、ドアを蹴破る金融屋。
「辻斬り男」の屋敷の前、ラーメンを作る信一。
同じ場所で一平と幽霊の会話、同時におかもちを持って走る信一のモノローグ。
「辻斬り男」の屋敷の中。
現れるラーメン屋台と一平。
お屋敷崩壊。
ラスト、朝日に向かってラーメン屋台を引き走る信一。

こうして書き出してみると、なんだかよくわからないですね。
装置としては、ラーメン屋台以外、具体的なものはすべて切り捨てました。
なにしろ御浪町ホールのことですし、お屋敷崩壊なんて無理だし、労力すべてを屋台にかけるべきだと考えました。
最低条件をクリヤーするために、大きい黒幕を一枚作って(また母に縫ってもらいました)舞台の前から1mくらいのところに吊り、カーテンにしました。
幕の何箇所かには、縦に切れ目を入れて出入りできるようにしました。
学生たちがごろごろしている部屋のシーンはこの幕の前で立ったまま寝た演技をして、天井から床のほうを見ているような演出にしてもらいました。
「走る男」が出てきたときは、「走る男」と語る学生の二人を残して残りの人は切れ目から裏へ引っ込み、台詞が盛り上がり「ただの食い逃げだー!」をきっかけに幕を開くと一平が屋台を引いて走っていて、前で走っている信一を追っている、という感じになりました。
そのカーテンは金融屋の二人が走るシーンでも使い、その後は「辻斬り男」のモノローグから玄関前の金融屋のシーンにぱっと切り替わるというところでも使いました。

舞台は真っ黒にしたいと思い、床はベニヤを黒く塗って張りました。

とにかくラーメン屋台をしっかりリアルに作ることに専念しました。
そのためにみんなで岐阜駅前のラーメン屋台へ食べに行ってじーっと観察したりしました。何度か行きましたね。

まず、土台になるリヤカーを入手しなければなりません。
みんなで方々探し回り、「あそこの通りに屋台のようなものがいつも置いてあるが、あれはきっと現役だな」とか「あっちの道に置いてあるのを見た」とか、常に情報交換し、ついに「これは絶対に捨てられたものだ」というおそらく以前は「たこ焼き屋台」であったと思しきものを、道端に発見したのでした。
そして、数日のうちに数人で回収部隊を編成し、それを岐阜大学に持ち帰ったのでした。(僕はいませんでしたが)
しかし解体してみると、リヤカーのフレームの形状が良くなかったのか、傷みが激しかったのか、ちょっと覚えていないのですがこれは使えないぞということになり、時間もなくなってきたし、結果的には僕の実家の畑にあったものを「もう使わんよね!」と強引にもらってきてしまいました。
ただ、こちらはタイヤの状態が悪かったため、先に解体したリヤカーからタイヤだけをこちらに移植して使いました。
そうしてやっと土台になるリヤカーを手にしたのでした。

その後なぜか道端のリヤカー回収部隊になったメンバーが風邪でばたばた倒れ、「あのリヤカーになにか因縁があったのでは・・・」と恐ろしい思いをしていました。まじちょっと怖かったです。

でもって、リヤカーをラーメン屋台にしなければなりません。これは結構時間をかけてしっかり設計しました。
まず、リヤカーというのは2輪ですから、普通では前後にぎったんばっこんとシーソーのようになってしまうので、リヤカーの床板の端にキャスターを取り付け安定させました。これのおかげで「よいしょ」と持ち上げなくてもスッと移動に入れます。
照明部からの依頼で、一平がラーメンを作るときに鍋の下から照明を当てたいとのことで、それは装置としても望むところ。中央の穴の下に照明機材を2発固定できるようにしました。上からものが落ちてレンズに当たらないように網を張っておきました。
明かりではもうひとつ、ちょうちんの電球と、屋台の中を照らす白熱灯を屋根の下に取り付けました。
ですから、屋台からはコードが出ていて、移動するときには外して収納し、照明を使う前にはプラグを取り出して差し込むということを、舞台上で役者がやっていました。もちろん自然な動きの中で。
主に一平の仕事でした。

僕ら木工はずっとやってきてましたが、ブリキを扱うのは初めてでした。
屋台の台上と、屋根にはブリキを使わなければなりません。金バサミで切って木材に当てて折り曲げて、という作業、初めてでしたがなかなかうまくいきましたよ。最後のほうはもう余裕でした。ついでに白熱灯の笠も作っちゃいました。

最重要課題は屋台切断でした。
どういう構造にして、どういう操作で、きっかけ通りに切り離すのか。
逆にきっかけまで切り離さないためにどうしたらいいのか。
しかも公演は何回もあるわけなので、本当に壊れてしまってはいけません。
さんざん考えた結論は単純明快。ワイヤーで引っ張るということでした。
屋台はあらかじめ切断されたパーツとして作っておきます。と言っても製作上は、一旦屋台の骨組みだけ完全形で作っておいて、「ここと、ここと、ここ」と決めて、そこで実際に切断してパーツにしました。だから必ずぴったりになりますよね。
きっかけまで外れないようにするためには、柱部分を板で挟んで金具でロック。屋根を2箇所金具でロックしました。
そして「いよいよもうすぐ屋台崩し」となった時は、ちょうど舞台上では2,3人が会話をしていて後ろで一平がラーメンを作るというシーン。
一平はなにやら準備している風を装いつつ、ロックを外し、タイヤに輪止めをかませ、分割パーツにワイヤーをかける、という一連の仕込みを演技をしながらやっていたのです。
そして暗幕の後ろにスタンバイしていた原巧実が、きっかけでワイヤーを引っ張る、という段取りでした

初めて屋台を崩したのはリハーサルの時でした。
その結果、見事に屋台崩し成功。しかし・・・分割パーツが、ほぼ、こっぱ微塵に壊れたのでした。
その夜必死に修復、木工用ボンドでガチガチに固めてやりました。
その甲斐あって、本番では全公演問題なく屋台崩しは成功しましたよ。
ただ一回、落ちた分割パーツの屋根の角が倒れている福富の10cm手前で引っかかって止まっていたという、血を見る一歩手前はあったようです。

さて、あとは屋台を屋台らしく見せる為のディテールの作りこみです。
のれんとちょうちんは絶対必要ですよね。
のれんは赤い布を使って母に縫ってもらって、「ラーメン」と白の塗料で書きました。ちょうちんは小川が見つけてきてくれたのかな?
あと、小道具で必要なラーメンどんぶりや調理具一式はすべて小川が準備してくれました。
ほんとにラーメンが作れそうな屋台になりましたよ。

そうそう、ロケットバーナーとかのスイッチをさりげなく作っておいたのでした。
小細工係の澤田が操作盤を作ってくれて、それを屋台の引き戸の奥に埋め込んだのです。一平が「ロケットバーナー点火!」と言って、スイッチをパチッパチッパチッと入れていくと、ランプが順に光っていくというものでしたね。かわいかったです。
澤田はほかにも、光るラーメンどんぶりも作ってましたね。
「ラーメンのすべてを知るもの」が持っているどんぶりは特殊なもので、彼が念波を発射するのにあわせてどんぶりの裏のボタンを押すと、仕込まれたプリントゴッコの電球が光ると言うものでした。4連射くらいできたと思います。

あと、水を注ぐと煙が出るどんぶりもありました。
これは単にドライアイスを入れただけなんですが、これも本番中に舞台上で仕込まなくてはならなかったので、注意を要しました。担当は沓名小川かな。
徹明町にドライアイス専門店があることを、この時知りました。

後半の畳み掛けるような展開はものすごく、音も光も大好きでした。
ラストシーンの照明は絶対こうしてほしいと照明さんにお願いしたもので、芯なしダブルマシーンと言ってましたが、光の筋ががぐるぐるまわって、その中へ信一が屋台を引いて走っていくという、とっても美しいシーンでした。

なんといっても僕らの代表作なんですね。
4年後に長良川ホールという大きなホールで再演することになったことも、実に幸せなことでした。この時はすんごくグレードアップしてますから、またいつか紹介しましょう。
次回は第7回公演「BYPLAYERは死なない」を思い出してみます。

 

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