清水康弘による劇団あとの祭りの装置に関する覚え書き

 

第四回公演〜見えないもの達〜
(1993.11.6-7)

2003年10月13日

第三回公演の後、また春を越え、夏をやり過ごした頃から次の公演の稽古が始まったくらいでしょうか。
稽古場所は岐阜大学のピロティですね。屋外で稽古できるかどうかは気候に左右されますし、そもそも集中しにくい環境なのでホントは避けたかったのですが、まだ学生が多く資金不足の時代ですし、良い場所も見つからなかったんでしょうね。

このときの新しいメンバーとしては、照明に川地が入ったのが大きいですね。その頃川地は劇団員の伊藤と壁1枚隔てた部屋に住んでいまして、伊藤の部屋で打合せをしているときに川地も一緒にいたのが元で引きずり込んだわけですね。
しかし、これを機に照明のセンスは一気に向上していくことになりました。
あと、音響のオペに川村がついています。玉置ができない為の補充のようですね。
あと、倫子が参加できなくなって、チラシの絵を描いてもらいました。こんな才能があったということにみんなオドロキ。写真は大原が立て看板に仕立てたもの。

作者は長久。彼はこの頃既に休学の身で諸事情あって出られない状況でしたが、本を書いてくれたんですね。
お話は「SFどたばたラブコメディー」と言った感じでしょうか。
清水演ずる一人の青年は、未来から透明人間スプレー(!)で姿を消して旅行にやってきたのですが、江尻演ずる一時的に目が見えなくなって入院中の女性と接触してしまい、ストーリーが展開します。周りには友達の小川、福冨の怪しい院長先生、江尻がお墓で出会う幽霊漫才師の二人、透明人間スプレーの存在を知り捕まえようとする製薬会社の人たち、未来のタイムパトロールの人たちと、まさにSFでどたばたしそうですね。

装置としてはまず必要な場面を抽出します。
冒頭は未来のどこか、青年がタイムマシンに乗り込むシーンから始まります。次は江尻のいる病院。そして幽霊漫才師のいるお墓。その間のどこか。場所としてはそれくらいですね。
そもそも具象でいけるとは思っていませんので、あらゆる場面でそのようにみえるデザインを考えます。
舞台中央には奥から上ってきて前に降りてくるような階段を設置し、ちょっとした丘を越えて次の場所に入ってくるようなイメージを持たせました。病院を抜けてお墓に来るところ、向こうからタイムパトロールがやってくるところなど、屋外の設定の場面ではほとんどで使いました。
ただ、頂上の高さを持たせようとすると前後の長さが長くなって舞台前のスペースが狭くなってしまうので、お客さんから見えない奥側の階段は非常にシビアなつくりになっていて、踏み外しそうで、役者に苦労をかけました
階段の頂上の少し広めの部分は下が通り抜けられるようにして、幽霊漫才師たちがお墓のなかから出てくるようなイメージにしました。実際、本番中は彼らの居住スペースになっており、台本や飲み物やみかんなどが置いてありました。
階段の両脇には低めの階段を伸ばして、エリアの分割に使いました。未来人がちょっと離れた視点から見ていたり、製薬会社の人がちょっと隠れたり、いろいろ便利に使えます。
病院のシーンでは、「病院にそんな段があるのはおかしい」というもっともな意見もありましたが、あまり気にしませんでした。

段の方はまあまあすんなり決定。問題はその上の空間のデザインです。
時間移動するシーンをどう見せるかが一番のポイントです。
階段の頂上に立った時に照明と絡んで一芸、というのが一番妥当そう。それなら、階段上部の正方形の四隅に円柱を立てて、それが発光した瞬間にタイムスリップ、というのでどうかと考えました。
そしてその周りには、お墓やその道々では林のように、病院ではあまり気にならず、と円柱を何本も立てたプランをつくりました。できればあまりくっきりとした線でなく、目が見えない人が気配を読むようにぼやけた線で作りたいと思い、いろんなお店めぐりをして素材から考えてみました。
選んだのはキルティングの中綿です。手芸センターTOKAIで安売りをしていて、それに決めました。
なにしろふわふわなものなので屋外では作業できず、岐阜大学の建物の中で広げて、糸とボンドを使ってぐにゃぐにゃに突っ張らせました。後は円形の枠を木で作っておいて、ホールに入ってから設置です。
柔らか素材で円柱を作る技術は1/4の右目の記憶で習得していましたので手順は問題なかったのですが、本数が多い分時間はかかっちゃいましたね。
でも苦労の甲斐あって、なかなか不思議な空間ができあがりました。
照明の川地も徹底的に明かりを当ててくれてうれしかったです。但し、中央の4本の円柱の中に仕込んだ機材は、長時間点灯すると火事になりそうで恐かったです。

病院のシーンで江尻が寝ているベッドがあるんですが、もう覚えていないんですが、写真で見るとすごく細くて、幅45cmくらいしかなさそうで笑っちゃいました。
たしかに1/4の右目の記憶のようなベッドを使わなかったのは正解ですが。
それだけ舞台を広く使いたかったんでしょうね。そういえば江尻が細いベッドの上で丸くなっているのを「寿司!寿司!」と言ってみんなで喜んでいた気がします。

あと、天井仕込みもので、福冨の白衣が呼んだら降りてくるという仕掛けがあったのですが、そこまでやる手間は僕にはなかったので、本人に全部仕込ませました。
その後もよくやる手なんですが、自分の使う小道具は自分で仕込ませるのが一番ですね。本人も納得するまでやってくれますし、しくじった時に責められなくていいですしね、アドバイスはしますが。
この頃は自分が写真を撮るのが好きでいろいろ珍しい写真が残っていて、リハーサルで袖から舞台を撮ったものとかもあります。最近はぜんぜん撮らなくなりましたね。時間がもったいなくてそれどころじゃない、装置を早くしあげなきゃ!っていう感じで、変わりに大原が撮ってくれてますが。
写真を見て気付いたんですが、この頃まではスピーカーを持ち込みでやってるんですね。よくこんなじゃまなことをしていたものですが、これも節約ですね。

最後におまけ写真。ありがたい座長の写真です。

さあ、劇団の黎明期を過ぎ、いよいよ次回は当劇団の出世作です。
第5回公演「The End(エンドマーク)が降ってくる」をお楽しみに。

 

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