清水康弘の装置の記録

 

 第26回公演〜600V
(2006.8.11-13)

2008年 2月 4日

体制開始のミーティングが2006年4月8日.
今回は岐阜の路面電車の話、作者は佐古まりのと中島充雅の協作.佐古は中島の教え子だそうで,高校卒業したばかりの未成年.
さて,当日渡された資料には装置の指定がしてありました.
それが完全に電車の中で,そりゃちょっと作るのはかなりえらいだろうと「まあ作者さんはそう言っても装置はそれに縛られる訳じゃないからね」なんて言ってたんだけど,話を聞いていると“どうもこれでないとダメだ”と,“どう考えても大変だけどどうも作るしかないらしい”と自分の中で結論した.

新たな参加メンバーは,佐古まりの,「仮面ライダー一文字」から手伝ってくれてた松尾,夏休み中の公演ということで久々に教職の高見,同じく教師で劇研の後輩山本由季子.
それでも人が足りず,劇団アルデンテからの助っ人として,「仮面ライダー一文字」でも出てくれた松岡,団長の小林ヒカル,会長の近藤文拓,看板女優の上田晶,計4名が共演してくれました.
スタッフでは佐古の友達で高井友美,突如現れた市橋佳代子が仲間に入ってくれました.

4月8日の会議の後,路面電車のことをけっこう調べました.
図書館で岐阜柳ヶ瀬の歴史を調べ,路面電車の写真集を調べ,電車の設計図を探しました.でもやっぱりホンモノを見たくて仕方なくなって,でもホンモノは2005年3月31日で全廃されていてもう走ってない.
ネットで検索すると旧谷汲駅に保存されていて,触ることも中に入ることもできるということが分かって,ゴールデンウィーク中の5月5日,コドモを連れて車で谷汲山へ取材に行ってきました.
華厳寺のふもとの駅にありました,僕も以前一度か二度だけ乗ったことのある赤い電車.他人が見れば完全なマニアだなと自覚しつつ写真を撮りまくってきました,内装主体で.
取材のあと傍の食堂に入ったら,たまたま沓名家の皆さんも来てびっくりしました.彼は電車があることなんか知らなかったけど.

最近はの公演では土曜日を3回くらいつぶして作れる程度のボリュームの装置プランにしてまして,自分で出来ない部分は業者さんにお願いしたりしてるんですが,今回の場合製作に相当苦労することになりそうで,だけど業者に頼めるようなものでもないし,一応クライムの松尾さんの所に相談に行ったりもしたけど面白い話は出て来なかったので,もうこれは全部自分でやるしかないと覚悟しました.
製作期間を考えるとのんびりプランを練っている時間もないので,まずは速攻で平面図とイメージを描いて稽古場にバミリして,アイデアを出しながら修正を加えていきました.

基本舞台は路面電車の中,だけど焼鳥屋の中になったり,お葬式をやったり,通学路になって自転車に乗ったりします,
電車の扉を手前と奥に設定して扉の間は座席.これが左右1対.奥が運転席の設定で,運転席なんだけど車掌の大原専用の出入り口になりました.
扉は多分左側しか使わないだろうと思い(期待し)ながらも,一応可能性は残しておく為に全部開くように設計しました.天井は照明が吊れなくなるので作るわけにはいかないけど吊り革は必須でしょう.
舞台前側は横幅いっぱいですが,奥の運転席付近はホンモノの電車の横幅に合わせました.

電車の芝居でリアリティを出すポイントは「揺れ」だと思い,どうやって揺らそうか相当考えました.最初は装置全部を一体型に作って,下にばねを仕込んで揺らしたいと思い,真剣に方法を考えていました.結構長いこと考えてたんですが現実的にはハードルが高く,ドア開閉の操作等も考えた場合さらに不安要素が重なるので最終的には断念しました.(翌年,仮面ライダー電王で揺れる電車のセットが僕の思ってた通りに作ってあるのを見て「これは僕のプランだ」と思いました)
でもどうしても揺らさないと気がすまないので,吊り革だけ揺らすことを考えました.パネルから2本腕を伸ばしてその間に渡したパイプをスライドさせれば出来るだろうとすぐに思い付きはしましたが,詳細設計にも,仕込みにも最も苦労したパーツになりました.

7月1日(土)から製作に入りました.8月半ばの公演でこの時期から作るというのはかつて無いくらい早いものですが,それでも間に合うか心配でした.
人も大勢集めました.古い劇団員の池戸,原をはじめ,客演のアルデンテのメンバー,劇研の卒業生.
自分で作るときは簡単な絵だけ描いて作ることも多いんですが,人に作ってもらう時はきちっとした設計図が必要なので,まあまあ詳細に描きました.というか,今回ばかりは自分でも詳細に描かないと把握できませんでした.
最初はパネルとシート部分から作りはじめ,稽古で使えるようにしました.
シートには最大6人くらい座るし,電車の窓に座ったり窓を乗り越えたりするので,座席はもちろん,パネルも結構丈夫に作らなければなりませんでした.
シートの下部はエキスパンドメタルを貼りました.ホンモノがそうなっているし,照明を仕込むことができます.エキスパンドメタルは「バイプレーヤーは死なない」の装置で使ったことがあったので使い勝手はだいたい分かってましたが,当時一緒に装置をやったのは沓名だけなので,彼に若い子を付けてやってもらいました.

シートはベースを木材で作ってその上にキルティングの中綿を乗せて布を張りました.キルティングの中綿は「見えないもの達」でオブジェに使っていたので,懐かしい感触でした.ホンモノのシートはは赤っぽい色なんですが,この舞台で赤はないだろうと思い紺色でちょっと質感のある安い布にしました.新メンバーでミシンが得意な市橋に布と設計図を渡して縫ってもらいました.完成したシートを初めて見る人はみんな口を揃えて「すごい!ホンモノっぽい」と感動し,座った後はみんな口を揃えて「すごい柔らかそうなのに座ってみたら結構硬かった」とがっかりしていました.しめしめ。
背もたれも同様に作りました.

僕はパネルに紙を貼るのが嫌いというか面倒くさくて,だからあまりパネルの装置は作らなくて,作っても紙じゃない表面処理をしたり,紙も貼らずに色を塗ったりしちゃうんで,沓名なんかもそういうものだと思ってて,今回きちんと紙を貼るし,しかも新聞紙じゃなくて買ってきたきれいな紙を貼ると言うと,そんな必要あるのかと責められたものです.でも電車内の薄いベージュの塗装鋼板の感じにするのなら最低でもきれいな紙は貼らないといけないと譲りませんでした.普通なら当たり前のことなんですが僕にとっては珍しいということで.
色は全体ベージュなんですが,窓枠の外側1センチには「赤い電車」の外装色,赤を入れました.近くで見ないと分からないくらいの処理なんですが,アヤ役の川瀬は喜んでくれてました.役者がいい気分になるのも大事なことですしね.
この赤色はホールに入ってから夜中に大原さんに塗ってもらって,本人は「私にそんな才能はない、そんな重要な作業はできん」と言って拒むのを「簡単だから」と説得してやってもらって,最初は順調にやってくれたんですが後半でホントに間違えて窓枠の内側に塗ってしまってすごい落ち込んでて,「大丈夫,直せるから」と慰めたんですが,僕も「ホントに間違えるのか」とちょっとびっくりしました.

どうしても自分では作れなさそうなモノもあって,そのひとつは吊り革.
会社の電車マニアの子に入手方法がないか聞いたら,たまにイベントなどで物販することがあるということだったけど,鉄道雑誌で調べたところ公演まで近場での開催はなし.
じゃ直接お願いしようと,名鉄に電話して譲って欲しいとお願いした.最初は断られたが,事情を長々と説明するうちに「じゃ,倉庫へ行って在庫が残っているか まずは確認しますから」とまた連絡もらうことにして,翌日「在庫がありましたのでご要望の16個確保しておきました」とのご連絡.「ありがとーございますー.ところで,物販なんかでは1個100円くらいで売ってるって聞いたんですけど・・・」と振ったら「ええそうですね,個人的にはタダでお譲りしますと言いたいところなんですけど,今回わざわざ手間もかけて出してきてるんで,会社としては1こ300円くらいでお願いしたいんですが」と来た.今思えば値切ってもよかったような気もするけど,既に自分も相当探し回ってきた後だったので手に入る喜びのほうが強く,うっかり即答してしまいました.次の日曜日に新岐阜の名鉄旅行センターへ受け取りに行ってついにゲット.そのまま稽古場に持って行ってみんなに披露していたら,川瀬嬢が「その紙袋もらっていいですか?」と吊り革が入っていた袋を指す.気が付かなかったけど,つぶれてしまった名鉄百貨店の紙袋で,小道具に必要だと.「貴重なんです」だって.

自分で作れなさそうなモノもうひとつが,電車の発車ベル.「チンチン」っていうやつです.稽古場の隅に今は使用可能なのかどうかも分からないような非常ベルが付いていて,実にそれっぽくて,危うくドロボウするところを踏みとどまり,目覚まし時計とかいろいろ探しても見つからず,ネットオークションで調べました.
見つけたのが欧州のどこかのケーブルカーの発車ベルのレプリカ.真ちゅう製で
実際に鳴らすことができるということで,価格は高かったけどもう時間も手間もなく入札,僕以外に入札はなくすぐに落札.ルール違反かなと思いつつ落札した後で出品者に事情を説明してちょっと値引きしてもらいました.5,500円が5,100円になりました.使ってみると実にいい感じ.ただ真鍮の金色で路面電車には似合わないのでシルバーのスプレーで塗装してしまいました.

ネットオークションで買ったものが他にもありました.
自分の小道具の「ウォーリーを探せ」の本「古いトランジスタラジオ」です.
手羽先は舞台でホンモノを使うことも出来ないので.ホンモノの手羽先を型取りして複製しました.
鳥屋のテーブルは,何回か中古屋さんに通って安くてちょうどいいサイズを探してきました.ホールに入ってから,うしろにポマード置き場をセットしました.

作るのに苦労した一つは,シートの横の変な形の手すり.
どうやって作ろうか思案してましたが「みそじ〜恋と桜とタンクローリーと」でクライム(当時アシスト・エイム)の松尾さんに作ってもらった桜の木の幹が発泡スチロールに布を貼って仕上げてあったのを思い出し,真似して作ってみることにしました.発泡スチロールの加工は「三人の地蔵」のお地蔵さん作りで勝手が分かっていたので楽勝.布を貼るのは苦労したけど,木工用ボンドを水で溶いて使って,なんとかうまくいきました

最も苦労したのは吊り革を揺らすしくみでした.
僕の頭の中では既になんとなくうまく動いていたので,まず簡単な設計図を描いて,あとは作りながら考えました.動かすしくみ自体は幕の開閉と同じ原理で,そのユニットを筒の中に仕込むだけなんですが,加工には苦労しました.
しかも出来上がってみると予想以上に重く 「これうまく仕込めるかしら,しかも役者のあたまの上だし・・・」と思ってましたが,口に出しませんでした.
吊り革を吊る棒には,農業用(ビニルハウス用)のパイプを切って使いました..

みんなには普通に作れるパネルなんかの設計図を渡して,作ってもらっている間に自分は設計図を描けない特殊なものを考えながら作ってました

最後に残してしまったのが網棚.
ホンモノでは壁に曲線的な支えが付いてて,それにバーが何本か乗ってるんですが,この支えどうやって作ろうかと思っているうちに装置も最終日になってしまったので,ベニヤを切って,2枚のベニヤの間に木っ端をかませて,木工用ボンドで固定し,隙間を紙テープでうめて色を塗っておわり.なんだか時間だけ無駄にかかったような細工でした.

逆に装置製作に入って最初の頃に作ってしまったモノはお葬式の台,兼フジコシの遺影の枠.きちんとした祭壇を作るスペースはなかったので台だけです.背面はパネルにして真ん中は小林ヒカルが顔を出せるようにしました.というか,彼に自分で作ってもらいました.彼も自分の劇団で装置をやっている身なので,それくらい軽く作ってくれるだろうと思って頼みました.
鳥屋での葬式には背面のパネルがない別の台をつくりました.お兄ちゃんの遺影は[ヒトリノ夜」で大原の遺影(生きてますが)を入れてた額縁を持ってきて,近藤文拓の遺影(生きてますが)に入れ替えました.稽古で使っていた仮写真は,最初みんな見るたびに吹き出して笑いをこらえるのに大変でしたが,それに慣れてしまって,ホールに入ってかっこいい写真を撮り直して入れ替えたら「やっと慣れたのに!」と責められました.
ずーっと木の枠だけで稽古してきて,ホールに入ってから適当にサテン布を貼り付けました.
台は摺って移動させるので,下に「カグスベール」を貼り付けました.

棺桶も作ったんでした.それこそ角材にベニヤを打ったタダの箱です.後ろ側はベニヤも貼ってません.白い布を貼って仕上げました.
「行先アヤ」ボードは適当なサイズの銅版に白い塩ビシートを貼り付けて,日曜の稽古の前にさらっと書きました.看板の文字の書き方は「晴れ時々曇り・・・」の時に石神亜子の父上に習ったというか勝手に取材したので,それ以来下書きせずにやるようになりました.
床には黒いパンチカーペットを敷くことにしました.白い骨をこぼした時にくっきり見えるように.

お葬式の白黒幕は,これも布を市橋に渡して縫ってもらいました.
ホールに入ってから,電車の壁と布にマジックテープを付けて,「バリッ」と転換できるようにしました.

ホールに入ってからの仕込みは,大体想定通りに進みましたが,想定通り大変でした.基本骨格はまあ順調.重い吊り革ユニットを良い角度で固定するのにちょっと手間取ったくらいです.
扉は床に引っ掛かりが出来ないよう吊り扉にしました.
前と奥の2枚の扉が連動して動くようにして,ロープを袖に持ってきて操作するようにしました.まあまあうまく動くんですが,何か操作の具合や役者がぶつかった時に脱線したりするので,しょっちゅう調整をしてました.最終日にも朝ホームセンターでレールを買ってきてダブルレールに改良したりしてました.設計通り右の扉2枚も手で開閉できるようになってて,仕込み,きっかけ中は便利に通路にしていたのですが,本番では使わないので直前に固定してしまいました.

吊り革を揺らす操作は,2本のロープで上手の吊り革も下手の吊り革も操作します.1本を引くと両方とも一方に振れ,もう1本を引くと両方とも逆方向に振れます.
文章でその仕組みを説明するのはさすがに難しいのですが,壁から伸ばした木枠の中でバトンを左右に引っ張っているわけです.これを左右同じ振れ幅にすることに最も苦労しました.
問題はロープの伸びで,操作場所は舞台下袖の1箇所だけであり,そうすると例えば左側の吊り革を左に10cm動かすためにはロープの伸びを含めて15cm引っ張らなければならないとすると,同じ操作場所から右の吊り革までは舞台の後ろをぐるーっとロープを回している分たくさん伸びが生じる為,同じ10cm動かすためにはロープを25cm引っ張らなければならないとか,そのくらいロープの伸び方に差があるわけです.
考えた解決策は,ロープの長さが同じになればいいだろうということ.
だから,可動部分とか曲がる部分はロープを残して,舞台の後ろを回している直線部分はロープを切って変わりにバインド線をはさんで,ロープの長さの合計が左右同じになるようにしました.仮説は当たってどうにか同じ引っ張りで同じような動きをするようになりました.全部ワイヤーにすれば良かったのかな.でも高いしな.

この扉の操作と吊り革の操作はほとんど近藤クンが担当してくれました.というか出番の関係で彼にやってもらうしかなかったのですが.また上手に操作してくれるので,よかったです.
一度本番中,僕が出演している最中に後ろで「カシャン」と音がして,芝居しながら「ドキッ」として芝居の中でさりげなく後ろを見たら,下奥の角でロープが「ぶらーん」となっているのが見えて,瞬間的に何が起こったのか分かってしまって,「ああ,今回はもう上側の吊り革は動かないんだな」とあきらめて,もう動揺せず芝居に集中しようと決心したわけです.ところがその後のシーンで「カシャカシャカシャカシャ」音がして,「誰か直してくれてる」と思って,その後もしっかり上手の吊り革が動いているので,本番中だけど僕はホントに感動したものです.
後で聞いたら,近藤クンが奥の滑車が外れた事に気付いてくれて,既に次の出番のために信長の鎧を着てて重くて動きにくいのにそのままの格好で「カシャカシャ」はしごを上って滑車を縛り直してくれたらしくて,その話を聞いて僕はまた感動したものです.ホントに彼に任せてよかったです.
いつも本番前は毎回必ず可動部や結び目を全部確認するようにしてるんですが,やり忘れた時に限ってトラブルが起きるものですね.

照明がらみになりますが,電車が横を通り過ぎるとき,又は走行中の電車でたまに窓から光が明滅して差し込むようにしてますが,あれは袖から横向きに当てるライトの前で,板をパタパタしてるだけなんです.でもこれもいろいろ改良されてて,初めてやったのは「ラーメン屋一代繁盛記」で電車が通るときの効果で,扇風機みたいに回転させてました.今回は「こんなヒカリではおかしい」と高見と近藤がさらに新しいタイプを開発してくれて,それはもうすごくいい感じになりました.これもどこでやるかはタイミングがばっちり決まってて,明かりが付いてから回していたのでは遅いので,予め高見と近藤とかが前から回してるんですが,照明の佐々木はそれをやってくれてるのを信じて明かりを入れるという,ナイスなコンビネーションでした.

こまごました作業はみんなに協力してやってもらいました.
電車の運転席周りの電源ボックスや操作盤を作ってもらってくっ付けてもらったり,ドア横の手すりをくっつけてもらったり,注意書きのプレートを貼り付けてもらったり,運転席の下の板にマジックで線を引いてもらったり,扉のガラス周りのゴムを貼り付けてもらったりしました.吊り革の紐部分もホールに入ってから作ってもらってました.名鉄からもらった時はホンモノの革部分も付いてたんですが,舞台用には長さが合わなかったのです.苦労した吊り革なのに,終演後の撤収でポリ袋にまとめて入れておいたら,どうやらゴミと間違えられて捨てられてしまったようで,どこにも見つかりません.けっこうショックでした.

とまあ,この装置は僕にとっては最高に手をかけた装置になりました.
自分の今までの装置経験を全部出して,みんなの力を出してもらってようやくできました.お金もけっこうかかりました.でも,それだけの効果はあったと自負できるモノになったかなと思います.手伝ってくれたみなさんどうもありがとう.

これだけこってり作りこんだ電車は公演終了後壊すのも大変で,いつもなら当日中にバラしてしまうところですがとても間に合わず,打ち上げが明けた翌日が珍しく休日だったので,みんなで壊して,使える材は劇研さんに差し上げて残りはゴミになりました.

最後に,動画でも見てください.

動画1【鳥屋】
主人公フジコシのお父さんの若い頃.昭和40年代生まれに懐かしいシーンです.吊り革の揺れ方はあまり上手でないです.扉オペは上手です.
実は暗い内容の芝居の中で一番明るいシーンです.

動画2【電車】
回想シーンで電車が止まったり動いたりするあたりです.大原車掌の「チンチン」も聞けます.ここの吊り革の動きは下手です.コンドウが出てるからだな.

動画3【葬式】
龍兄ちゃんが死ぬところです.すごく暗くなるのでビデオではよく分かりませんが,生で見るといろいろやってます.

動画4【港のヨーコ ヨコハマヨコスカ】
音楽にびたっと合わないといけないので,毎回きちんと同じ芝居をしないといけないところです.

動画5【信長】
吊り革,良い揺れ方です.確かコンドウが自分で揺らして,扉も自分で開けてたと思います.この鎧を着て梯子を登って外れた滑車を付け直す姿を思うと,笑え
頭が下がります.

動画6【ラスト】
ラストシーンでこの曲を使うとはなんてベタな,と思ってました.
本当はここでは吊り革を揺らさないんですが,千秋楽だけ僕が勝手に揺らしました.その瞬間オペ用ロープが切れました.最後でよかった.

 

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